上達がなくても笑顔がある、そこに楽しさがある。

子どもの笑顔に救われる日々。

笑顔を期待するのではなく、僕がまず笑顔になること。

子どもは素直。笑顔になるときもあるし、そうならないときもある。

 

僕が日々接している、子どもたちは、知的障害の持ち主。

ボクらは、何かがうまくいったり、上達したり、できるようになると、その事を褒めて、すごい!と言って、良いことだよって伝える。

 

でも、知的障害の持ち主の彼らは、ボクらが思っている上達だったり、成長をしなかったりする。

 

ボクらが、上達をして、成長をして、できなかったことができるようになることに対して、とてもとても褒めたいのに、彼らはそれをしない。

 

にもかかわらず、目の前で楽しそうに笑っていたりする。

できないことをできるようになる喜びではなく、

ただ、今そこでできること、できたことに笑っている。

別に上達を望んでいない。できないことができることになることを望んでいない。

 

ただ、そこで笑っている。

存在があることが、既にうれしさ、楽しさを生み出している。

 

あーそうか〜、と僕は気づく。

できないことができることになる喜びは、ただこの世の中にある喜びの一つであること。

そして、それ以前に、それをやってただ楽しい、うれしい、笑顔になる喜びがあるということ。

 

成長や上達はおまけ。

今、そこで笑顔があるなら、それがいいな〜って僕は思う。

そう、楽しいという感情は本当に素敵なんだ。

 

今日も子ども達が僕の脳みそをシェイクして、忘れていた価値を教えてくれる。

いつも、本当にありがとうございます。

 

今日の気づき=上達がなくても笑顔がある、そこに楽しさがある。それ自体が楽しいこと。人生の喜びだといこうこと。